こんばんは。
生形です。
GW、いかがお過ごしでしょうか??
私目は普段と変わらず、明け方に眠り、昼過ぎに起きて仕事に行く毎日でございます。
ちょうど一年前のブログで自分にとって人生で一番大きな出来事について書きました。
あれからもう一年…
なんて事のない、誰にも見られないようなブログでも、書いてみる事で色々自分の中に変化を感じています。
自分の精神活動や心理など、説明なんて付いてたまるかと思う反面、否が応なしに体調の波は激しいし、身体が動かなかったり、ご飯が食べられなくなったり、眠れなくなったりするのは何故だろうと、自分だけでなく、家族や友達とも悶々とした日々を送っていました。
最近は自分の謎を解き明かしつつあり、体調の波とも上手に付き合えるようになってきました。
自分の命と折り合いをつけるのに、足掛け30年以上費やした事になります。
その活動の中で、ある種の必然性を持って音楽を作るようになり、関わる人がちょっとずつ増えていく中で、様々な気づきを得る事が出来ました。
鬱や、精神病というと大きく括りすぎではありますが、自分の謎と向き合う事で、ある種の生きづらさや、希死念慮みたいなものの正体を掴みつつあるように思います。
僕が鬱になる時の感覚として、「見えているものが正しく見えすぎている」という事があると思います。
僕は音楽が好きなので、そういう時に音楽を聞くと、めちゃくちゃよく聞こえます。
元気な時は、脳みそや身体、体力に余裕があり、ある種の自分にとって都合のいい妄想の中で過ごしているのだと思います。
でも、それはあまりに脆いもので、ふとした音楽や風景、誰かの一言でがらがらと崩れます。
強烈な自己否定が繰り返し起こる中で、コンパスを正しい位置に戻す作業をする時、僕は鬱状態になります。
もっというとその都合のいい妄想も、結局は自分の中から目を逸らすため、本当の自分の気持ちに蓋をしながら、楽しいなどと言っている為、その蓋が壊れてしまった時に鬱になるとも言えます。
自分の本当の気持ちとはなんぞやと言いますと、それは普段使っている言葉や思考では捉えようのない、形容し難いが角して圧倒的な意志力を持った、一種のエネルギーみたいなものだと仮定します。
去年、あのブログを書いたあと、猛烈な鬱状態に襲われ、3日間食うことも寝ることも出来なくなり、アメーバのように横たわっていました。
排泄物が自分の中になくなったのを感じて、いよいよ、気を許したら消えてしまうなと思った時に、一つのイメージが鮮烈に見えました。
それは真っ黒の心臓です。
弁がぱかぱか、開いたり閉じたりしていて、そこから黒い煙?というか液体?みたいなものが、ぱふぱふ出ていました。
弁をよく見ると、もう腐っていて、かろうじてそれに付いている状態でした。
どうせ死ぬならと思い、イメージの中でその弁を引きちぎった瞬間、黒い煙がすごい勢いで吹き出して、目の前も真っ暗になりました。
ずっとそれを見ていると煙が晴れていき、半透明でピンク色の心臓が見えてきました。
(なぜここまで話せるかというと、今でもすぐにそのイメージを思い出せるからです)
まだ残り香があり、煙を吐き出していますが、先ほどの真っ黒よりも、見通しが良いです。
そして、声が聞こえました。ここで言われた言葉はまだみんなには話せないけど、
(ここまで話しておいてなんですが、自分にとって大切な言葉なので、ここでは控えます)
でも、なんとなく、じゃあどうする?的な事です。
すぐにコンビニに行って片っ端からご飯を買い、びっくりするくらいお腹いっぱいになったところで、一緒に住んでいる彼女にそのイメージと言葉を伝えました。
彼女はなんのこっちゃ分からないけど、分かるような…でも、それ以上に僕に対しての憤りを強く感じました。
そりゃそうです。大の大人が三日間、勝手に落ち込んでいて、急に喋り始めたと思ったらそんな話なんだから。
辱い…(彼女には頭が上がりません)
それからというもの、常々そのイメージを引っ張り出して、今の状態をすぐ確認出来るようになりました。
ちょっと息苦しくなったら、そのイメージを出して、煙を吐き出させてやるのです。
そんなこんなしてる間に、自分はライブをやったり、仕事をしたり、友達と話したり出来るようになったのです。
もうあれから一年経ったと思うと、とても早かったように感じます。でも、ただ早いだけじゃなくて、密度が濃くなった気がします。
今まではただ来たものをこなしているだけで精一杯だった日々に、ちょっとずつ、自分なりに隙間を作り、そこを好きなものや、時間で埋めるのが上手になった気がします。
長い間、疑うことをエネルギーに疑い続け、自分の首を絞めていた張本人は自分であったと、心から認める事ができます。
もちろん、今、その渦中にいる方には最終的にはお前次第なんだと、バカな人たちが言っているようなことは言えませんが、絶対どこかで必ず、それに終止符を打ってもいいかな?と思えるようになります。
ちなみに僕は唄うたいなので、そこに終止符を打つつもりはありません。これからも、この意識がこの身体に留まり続ける限り、一生苦しんでいく事でしょう。
でも、手元にはいつも句読点があります。
月並みに、いつ死んでもいいと思っていますが、それにより、まだ死ねないな…みたいな気持ちを同居させやすくなり、そこで、初めて目の前の景色が輝く事を知りました。
Today is good day to die.
これはアメリカンインディアンの言葉で、今の僕にとって、めちゃくちゃ大事にしている一つの指針です。
それからECDのRESTで歌われている、「shindoi n dattara ikkai yasundero.nansai ni natatte yarinaoshi ha dekiru.genkai ni nanka chousen sinakuteii.bankai dekiru tairyoku dake nokositoke.」
これもいつでも休んでいいと自分に言い聞かせるために、必要な唄です。
それでもやっぱりライフはハードだし、たまに息継ぎ忘れちゃう事もあるけど、そういう時は一歩立ち止まって、自分を観察してみる。
そこに音楽があったり、芸術があったり、映画があったり、自然があったり、食事があったり、仲良い人が居たり…
どこから来た、ミトコンドリア
そしてどこへ行くのだろう。
どこかで会ったらまた話せたらいいですね。ひとまず、僕は唄を作っていこうと思います。
ライブ、見に来て欲しいです!
2023.5.25(木)@東高円寺U.F.O.CLUB
20:20〜演奏。新曲やります。
2023.5.27(土)@神保町試聴室
18:30〜演奏。45分ステージです。
どちらもバンドセットでの演奏です。
これを終えたらいよいよ、レコーディング、新作もお楽しみに!
今の最新作はこれ!聞いてない人も、聞いた人ももう一度、ぜひ!
長くなりましたが、ここまで付き合ってくれてありがとうございました。
僕はあなたに興味があります。
きっと会いましょう♪
では……!