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1990年生まれ。東京都内を中心に活動中。フォークとポップスの間を彷徨っている。名も無い一人のミュージシャンの日常。

音ガタリ人ガタリ 2026.6.7(日)

ブログ久しぶりです。

元気ですか?僕は元気です。

 

昨日は新宿カールモールに、ヨシムラタカシさん、佐古勇気さんをお迎えして「音ガタリ人ガタリ」というスリーマンライブを行いました。

 

僕は一番手。お店のスタッフとしても動くので、カールモールでやる時はいろんな気を使ってしまい、なかなか自分の演奏だけに集中しづらい。

でも、昨日はまっしーが手伝ってくれたし、大分楽だったな。まっしー、さんきゅー。

 

二番手は佐古勇気さん。

2年前くらいにがちゃがちゃと音楽を探索してる中で出会ったミュージシャンで、いちファンとしてずっと聞いていた方。

特にここ一年位は、「今夜、すべてのバーで」という曲に何度も泣かされてきた。環八を羽田に向かう車の中。仕事から帰る電車の中。モヤモヤと消化不良だった一日の終わり…

自分がカールモールで、なんちゃってバーテンダーとして立っていて、人には人の数だけ物語があり、目の前でその物語の片鱗を聞かせてくれたお客さん達のこと…

佐古さんの唄達は、そんな人たちのことを掬い上げたり、突き放したり、ただ見ていたり…

また見たいと思ったし、自分もなんとか機会を作って一緒に演奏したいと思った。

 

三番手はヨシムラさん。

かれこれ自分が活動を始めた11年前からの仲になる。

ヨシムラさんの曲は優しい。たくさん好きな曲があるけど、昨日やった曲の中だと「さかな」という曲が好き。曲の成り立ちを聞いた時、「俺もその感情知ってる…」って思ってどうにもやり切れない気持ちになった。

どうしても過ぎていってしまうことに対して、諦めている自分と執着してしまう自分。その間に、正しいや間違っているなど、もはや答えなどなく、ただ見ていることしかできない苦しさを、ヨシムラさんの唄は優しく見守ってくれているような気がした。

 

僕個人的には、さまざまな環境が変わり、前のようにギターを弾いて唄う時間がなかなか取りづらくなっていた中で、本当に人様にお見せできるようなパフォーマンスが出せるのかとても不安を抱えて当日を迎えました。

 

でも、自転車に乗るのと同じようなもので、ライブが始まればそれなりに唄えるものだな…と感じながら演奏していました。

 

新曲もなんとかできてよかった。見てくれた人から、新曲よかったよのお声をいただけて、一安心…

 

弾き語りの形で発表しようか、アレンジして出そうか迷っている。短い曲だし、アレンジしてみようかな?っていうか、たけちゃんに投げてみるか?

アレンジに対しての自分の引き出しがマンネリしてるので、また誰かと一緒に作業したい欲がある。

 

改めて、6/7(日)新宿カールモールにお越しいただいた皆さま、ヨシムラさん、佐古さん、お手伝いしてくれたマッシー、そして気にしてくださっていた皆さま…

ありがとうございました。また、3人でやりたいです。

 

カールモールでは、不定期でライブ演奏のイベントをこれからも行なっていきます。

どの日に来ていただいても、きっと楽しんでいただけるようなイベントを組めるように頑張っていきます!

 

8月、10月にそれぞれイベントを企画していますので、またその際はsnsなどでお知らせ致します。

 

では。

 

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p.s

次のライブは6/29(月)、阿佐ヶ谷ロンサムにて最高の夜に出演します。

ご来場お待ちしております。

 

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行燈

オリオンが沈む

もうすぐ朝が来る

とても寒いね

すごく暗いね

 


手元にある小さな灯りは

君だけのものだよ

誰に見せなくていい

 


いつかきっと

よかったんだと

その胸に届く日が来る

両手を合わせて

おやすみよ

 


丸いお月様

あと何度見れるだろうか

よく見ておいで

待っているから

 


どんな時も照らすもの

君の手の中にあるよ

 


いつか来る自由なんてない

今目の前にあるそれを掴め

霧ケ峰高原にて

自分のちっぽけな夢や理想よりも現実の方が遥かに豊かだと思った。

それは自然の中に行くたびに思う。その感覚は年々経るたびに大きくなっていく。

生きていく事も、死ぬ事もそんなに生やさしいものじゃない。

人はそんなに簡単に死なないし、そんなに簡単に生きられない。

そう思った途端、簡単に失うし、簡単に訪れる。

得れば失うし、失ってもまた溢れてしまう。

一々辟易しながら、ただそれを綺麗だという言葉でしか表せない、自分の語彙のなさにほくそ笑み、やっぱりちっぽけな人間だと、言葉を飲みこもうと必死になるが、それでも溢れてしまう、つまらないひとりごと。

そうしていると不思議とお腹なんて空かなくなるんだ。

ねぇ、今食べたいものはなに?

街に戻れば元通り。ただ通り過ぎただけの風景は思い出の中で勝手に永遠になった。

雪解けの水が枯れ、寒くなってひとしきり季節の後、またその水が緑とキラキラを連れてきてくれるだろう。その水はどこから、いつから流れているのだろう。

僕はどこにも行けないだろう。きっといつまでも帰り道を辿っているだけ。

どうかいつまでもそういう事が続いていきますように。

夕焼けに飲み込まれていく事がこんなに恐ろしいなんて思わなかった。

毎日毎日、繰り返し等しく訪れている事に頭を下げることしかできない。

どうかお元気で。また会いましょう。

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思い出

一年前、多摩川の花火大会に行った。

とても体調が悪く、家を出るだけで精一杯だったが、住んでいた場所から近かったので、歩いて人混みに入っていった。

その日も、ちょうど今日と同じくらいの気候で、雨が降っていた。

集まっていた人たちは寄り合って傘に入ったり、ビニールシートをひいてカッパを被ったりしながら楽しそうだった。

雨の中、踏みつけられた雑草と土の匂いがとても心地よかった。

何時に上がるかもよく調べないで行ったので、1時間くらいの間、傘をさしたり閉じたりしながら、花火の音や周りの人たちの楽しげな雰囲気に誘われて、自分の不調もどっかに行ってはくれぬだろうかなどと考えていた。

あたりの雰囲気がそれっぽくなり、爆発音と火薬の匂い、そしてどんなにいいカメラを持っていようが決して写らない、原始的で美しい火の粉達が、空に溶け込んで行くのを見ていた。

途中、雲がかかったり、風向きで煙に隠れてしまいながらも、確かに花火は上がり続け、光の後少し遅れて、身体を揺さぶる爆発音が人々に届き、それに応えるように観衆から声が上がる。

何のために?と思いながらスマホで写真を撮ってみるが、何の意味のないと思い、すぐにポケットに戻した。

最後の花火が上がり、拍手が起こってゾロゾロと路地に吸い込まれていく間、僕は確かにいい気分だった。身体は重たいが、心の中に少し隙間ができて、その事実が嬉しかった。

花火は綺麗だ。そして、あの音には魔を払う何かが宿っていると感じた。

家について再び布団に倒れ込んで、撮った写真を見返してみたが、もうそこには感動などなく、あまりにも無機質で悲しくなった。

ただ、そういう夢を見ていただけなのかもしれないとさえ思い、身体の重たさとドロドロとした感情に再び身動きが取れなくなって、また再び眠りについたのだった。

あれから一年。今日も同じ時間に同じ場所で花火が上がったことをsnsで見て、僕は少しだけ胸を撫で下ろしたのだった。

 

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2025.9.9 ところで…

言葉で言葉を呼び出しても

何も答えてくれないよ

呼ぶ声

見える景色

あなたのお顔

お前の後ろ姿

タバコの煙

ビルの瞬き

言葉で言葉を呼び出しても

何も答えてくれないよ

遠い山並

わたしの手元

俺のハンドル

カーブを曲がる

星の瞬き

点いたり消えたり

寄せたり引いたり

浮かんでは沈み

繰り返した先

今見えているのは

誰も知らない

今日という日

さようなら

また明日

こんにちは

変わりはない?

 

ところで…

 

お盆ですね

言っちゃいけないこと

言わなくてもいいこと

言った方が良かったこと

聞いてわかること

聞かなくてもわかること

聞かなければ良かったこと

伝えたいこと

伝えなくてもいいこと

伝わらなくてもいいこと

言いたいこと

聞きたいこと

伝えたいこと

聞きたいこと

言いたいこと

伝わること

言いたいこと

言えないこと

聞きたいこと

聞けないこと

伝わること

伝わらないこと

 


全部時間が経たないと分からないこと

 

お盆、ですね!!

倫理が追いついたら感覚は壊れるかも

 

元々の読書習慣が身を助けている。

 

読書が身に付いたきっかけは、自分にとって何かが違うと感じる今世のあり様と、実社会に対する大きな疑問、つまり、簡単にいうと劣等感みたいなものから始まった。

 

今世の社会への疑問の出発点は「先生」と呼ばれる大人への疑問。幼稚園、小学校、中学校と先生と呼ばれる大人たちに、確信を持ってついていったことは一度もない。

 

常に「俺ら」にとって、「大人」は敵であり、理解しあえぬものと捉えていた。

 

そんな中、自分たちの味方だと思う人は常にアウトサイダー的な立ち位置にいる人たちと強く感じていた。音楽、映画、文学など、時に時空を越えて、身近にいる「大人」のあり様よりも、自分を強く勇気づけ、立ち上がらせてくれたと思う。

狭い世界で生きている時はそれでよかったし、結局外に出ようとしてみたけど、今はまた狭い世界に戻っている様な気がする。

 

お風呂上がりにパッとかいた自身の曲、個人名義で初めて出した1st epのラストトラック、「フラワー・ピリオド」(2022)を書いた時は、そんなこと微塵も考えていなかった。

 

空想のバンド名を作って、そのバンドがどういう音楽を作るかみたいな、遊びの中で出て来たバンド名の一つだった。

(ファー・アームストロング、ヤード・プロフェッサー…etc…)

 

なんでかフラワー・ピリオドというバンド名をめちゃくちゃ気に入り、そのバンドのことを思って書いたつもりだったが、詩の最後で「まぁいいか、しょうがない、来た道を戻る」と、極めて無意識に締め括った唄を、律儀になぞるかのような数年であった。

 

読書体験と一重にいっても、千差万別で、頭の中で聞こえている声は誰にも聞かせることはできないし、その声に導かれて浮かび上がる世界そのものを誰とも共有することはできない。

 

近代大衆音楽史では、MTV以前、以後という捉え方があり、MVやPVなど、音楽の世界感をビジュアライズする事が昨今では当たり前となった。

 

俺自身、色々インターネットの力を存分に借り、また一人のミュージシャン(アマチュア?)として、ライブ活動に携わる中で、普通に生きていたら、絶対に聞かなかったであろう音楽たちにたくさん出会ってきた。

 

自分の趣味嗜好を提示する時の一つの指標として、MTV以前に奏でられていた音楽かどうかという事を大事にしている。

何でもかんでも懐古主義的に陥るのは、ある種の罠と心得つつも、心が惹かれてしまうのは、収録されている音そのものに対して、情報の少ないものを好む傾向がある。

 

友達と夕陽を見ている時、月が綺麗だねと話す時、俺の見ているそれとは、全く違うものが見えていると思っている。(I love youとは奥ゆかしく…夏目漱石、恐ろしや…)

 

目は一人一つだし、もっと言えば身体感覚は千差万別だからだ。

だけど、綺麗だと言葉にして、その言葉に共感の喜びを感じるのが、生きていて何よりも嬉しいことの一つだ。

 

いつか、いつの日にか、それを扱う倫理や理性が備わって、他人の感覚をそのまま共有しうる技術ができた時に、果たしてこの身体はそれに耐える事ができるだろうかと考えを巡らせている。

 

情報過多と言われている昨今、今ここまで読んでもらった方々に有用な情報だったかと言われれば、なんて事のない雑記であった事をお詫びさせてもらいます。

 

 

読書という極めて情報量が少ない娯楽と、情報量の少ない音楽。「目に見えないもの」や「聞こえない音」、「言葉にならない声」のような一種のジレンマに対しての感性のある「大人」は、果たして、幼年、青年だった頃の自分にとって「敵」になりうるだろうか。

 

(…沈黙に宿るetc…、これはバンド名には煩すぎるから却下)

 

言葉になるその前に、目に見える形になるその前に、俺の中では、そして、あなたの中では何が起きているのだろうか。あえて分からないままにしておいた方が、この先の人生で楽しみが増えるかもしれないし、もしかしたら、救われるかもしれない。

 

来た道を戻るつもりだったが、結局、道は前にしか続いていなかったのかとも思う。

 

余白や沈黙に想いを馳せながら、一日一日を大事に過ごしていきたいと思う。皆様の生活に、少しでもその瞬間が訪れます様に。

 

 

 

 

2022.11.16(水)配信スタート

 

生形拓人1st mini album

「フラワー・ピリオド」

 

https://linkco.re/9Rne2pa0

 

M1 Just a moment

M2 赤星

M3 砂糖水

M4 天狗の唄

M5 you

M6 フラワー・ピリオド

 

recording&mix   細貝知史(ペンギンレコード)

mastering   kensummer(U.F.O.CLUB)