どうもこんばんは。
3月、終わりますね…
寒い冬、ずっと嫌いだったんですけど、今年の冬は楽しかったです。
冬の何が嫌かって日照時間の少なさとそれに伴う寒さで鬱屈とするのが嫌だったんですが、狡賢く、安価な退屈凌ぎを覚え始めてしまったので、冬でもぼんやりと過ごすコツが分かってきたような気がします。
何か見てる気がするんだけど、何見てたんだっけ?みたいな感じが居心地が悪かったりします。
家の近くのTSUTAYAも潰れてしまい、どんどんプラットフォームに吸収されていく様々なコンテンツを無目的に消費していて、しまいには金の次は時間が惜しいとなって来て、便利になった反面、今まで通りにそういうもの達と付き合おうとしてきた、私の小さな抗争も、そろそろ終わりを告げようとしています。
現に、自分もマイペースに作品を作っていて、サブスクリプションサービスで配信していたり、また、一人の消費者としてサブスクリプションサービスを利用しているので、作る側の情熱もある程度理解しているし、聴く側のニーズもある程度理解しているつもりでいる。
towel盤を作る時に、たけちゃんが「これからは色々な音楽にアクセスしやすくなるから、時系列を無視して、全ての作品が並列になる。だから絶対に中途半端なものは作りたくない」と言っていて、概ねその通りの雰囲気になってきているのを感じている。
(何回かこのブログで喋ってる事だが、私にとって重要な価値観なので、重複お許し下さい)
高校生の時、相模大野で大道芸を見た。
彼女と絶賛喧嘩中で、その日も会っても喋らないような感じだったと思う。
でも、会う約束をしていたので2人でいつもの公園にいこうとしていた時だった。
駅のロータリーで大道芸人がパフォーマンスしていた。なんの気なしに2人で見ていると、パフォーマーに促されて、みんなの前に引っ張り出された。
おもちゃの銃を渡されて、俺と戦えみたいな感じだった。
私はあっという間にパフォーマーの雰囲気に呑まれて、手に持っている銃で本気で殺してやろうと思っていた。
対決に相応しい音楽と、動きに対する効果音があり、ごっこ遊びの最上級だ!と思って楽しんでいた。
「ここまで追い詰めた。あとは引き金を引くだけだ!」
バンと引き金を引くと、銃口からお花が出てきて、現実に戻された。
大きな拍手を…パチパチと相成り、大道芸人に「彼女を大切にするんだよ」と真っ赤なハートの風船を貰った。
(ファンの方にもお褒め頂き、「何かやってる人?」と聞かれて、「サッカー部です」と答えた。多分回答が違うと思う…)
振り返り彼女を見て、真っ先に風船を渡しに行くと「かっこよかったよ」と、ニコニコしていた顔は今でも忘れない。
そこから大道芸は最後のパートに移り、心を持たないロボットが不意に花を潰してしまい、そこから、モノから彼の元へ変化が訪れて行くという内容だった。
(ロボットのぞみさんという方です。時を経てあらびき団などTVでお見かけする機会が増えて嬉しかった反面、僕の隣にはその彼女がいないという甘酸っぱい、苦しい思いもありました…)
彼女と僕は2人揃って大号泣して、ショーが終わり、なけなしの投げ銭を入れて、ガラケーで写真を撮ってもらった頃には、もう仲直りして、いつもの公園に向かい、たくさんその事について話し、ハートの風船を2人で持ってプリクラを撮った。
時は経ち、期せずして自分も表現をする側に立つ事になり、遠い遠いあの日のことをふと思い出す事がよくある。
時は2024年。私の手にはスマートフォンがあり、映画も動画も音楽も、これ一つで楽しめるようになった。
路上ミュージシャンや大道芸などを見る時も、snsと紐付けをして活動している人が多い。
友達が貸してくれたCDや、知恵比べのために見まくったDVDと映画など、もうエヴァーグリーンな感じになって来ていると思うと、まぁそれなりに歳を取ったなと感じる。
(ただ本は絶対紙が良くて、本屋通いは週一で続けている。)
従来の作品の価値から考えて、今はほぼ無料で様々な作品を見たい時に手元で見られることが当たり前になった。
01のマシン語が身体に入る日も遠くないだろう。もしくは01のマシン語の世界に我々が入るのか。
どんどん便利になって行く。それが当たり前になって行く。
意識してぼーっと出来る時間が、何かを甘受している時より落ち着くなんて、私は寂しい人間になったのだなと思っている。
今週末、弾き語りライブします。赤い風船は渡せないですが、赤いギターを担いでお待ちしております。
2024.3.29(金)
東高円寺U.F.O CLUB
op:18:30
st:19:00
¥2500+1oder
トップバッター19時から演奏です。是非。